だって、消防署にとって消火活動が飯の種だとなったら、消防署が営業していけるだけの火事が、常に発生しなければならないことになります。また、消防署の設置が原則自由となったら、消防署の過密地帯では、さらに頻繁に火事が必要となるでしょう。
また、消防署にとってはスプリンクラーや火災報知機の設置などは、自分たちの飯の種を脅かす存在になりますので、設置には断固反対することでしょう。
もしくは、軍隊が営利企業だったらどうでしょう?軍隊は戦争があって初めて存在価値が生まれます。ですから軍隊が営利企業だったら、軍隊は戦争をしたがるでしょうし、いざ戦争が始まっても、なかなか決着をつけず、長期化させようとするでしょう。さらに、雇い主がお金の支払いを滞らせれば、平気で戦線を放棄するかもしれませんし、買収されたら敵に寝返るかも知れません。
このような事例はたとえ話ではなく、実際にありました。15世紀の軍事・政治の批評家であったマキアヴェッリは、自国フィレンツェの軍隊が傭兵部隊で構成されているために、軍事費の増大と、膠着する戦線の問題が起こっているのだとし、自国の防衛軍は自国市民で構成すべきと「戦術論」の中で述べています。
反対にもし医療機関が全て国営で、医師や歯科医師が公務員ということになれば、どういうことになるでしょう?医者や歯医者は公務員としての身分が保証され、給与も保障されているならば、患者を増やしたり、一人の患者からより多くの医療費を稼ぎ出したりする必要がなくなります。それに、予防に力を入れるほうが、治療に手間隙をかけるよりもよっぽど簡単で、費用も安上がりになります。
現在の日本の保険医療制度においては、医療機関は利益を最大化させるために、増患、増益を旨としています。また、保険医療制度では治療行為に対する診療報酬は一定で決まっていますから、いかにコストを削減するかが大事となります。もちろん、潜在患者を減らしてしまうような予防行為は、自分の首を絞めることにつながりますから、決して行ったりしません。
まさに、中世のフィレンツェの傭兵のような状況が、現在の日本の保険医療制度で起こっているのです。
この制度を熟知している医療機関や医療従事者は、上手く儲けて財を成してこれましたが、その一方で搾取される一方の日本国民には、病気が蔓延しているという有様です。この現実を知ってなお、日本の国民科医保険制度は、世界に誇れる医療制度だと、本気で考えますか?