医療法人社団楡樹会 稲毛エルム歯科クリニック

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人口の増加と社会の変化

江戸時代までは日本の人口は3000万人程度で安定していたことは、前に書きました。これは様々な要因があるのですが、やはり大きいのが家父長制度でしょう。


家父長制度は職業の世襲をもまた規定する制度ですから、必然的に身分制度にもつながります。世界的にみても、安定した国家運営にとって、身分制度は実は非常に有効です。身分制度の無い、人類みな平等な社会というのは安定しえず、たえず戦争や飢餓、貧困などを招きます。一方で身分差別は存在しても、国が安定し人々が平和で安心して暮らせる世の中であれば、そちらのほうが良いと考えてもおかしくはないでしょう。


明治になって身分制度は無くなり、職業選択の自由が与えられました。結果人口を効果的に抑制する手段を失った日本では、人口が爆発的に増加し始めます。明治5年(1872年)の日本の総人口は3450万人でしたが、明治20年(1887年)には3870万人、明治35年(1902年)には4496万人と、すごいペースで増え続けました。


これだけのハイペースで人口が増えて、食糧生産は追いつくのでしょうか?いえ、追いつくわけがありません。日本の食料生産能力は、江戸時代にすでに非常に高い水準になっていましたから、技術革新などで更なる増産を行うにも限度があります。実際江戸時代と明治時代の一圃場あたりの生産能力はほぼ同一か微増程度であったろうといわれています。


ならば足りない食料はどうしたのでしょう?一つは輸入です。明治になって日本は開国し、外国から様々な物資を輸入し始めましたが、食料は大きな割合を占めていました。しかし、外国で生産された食料だって、無尽蔵に輸入できるわけではありません。外国に住んでいる人だって、食料を必要としていたからです。


この、食料を求め海外の利権に目を向け始めた日本が起こした戦争が、日清戦争であり、日露戦争でした。日清戦争では台湾を、日露戦争では朝鮮を植民地化した日本は、日本国内の食料需要を満たすために、植民地での食糧増産を積極的に行いました。


台湾ではまず米の生産が行われたのですが、日本人の好むジャポニカ米の生産には、気候的に適しておらず、最終的にサトウキビの生産を行うようになりました。一方朝鮮では、伝統的に行われていた米の生産がはなはだ不効率だということで、朝鮮総督府の指導によって、集約化された農業が行われるようになりました。


これによって朝鮮での米の生産量は飛躍的に増加した一方、豪農に土地を集約させたために、大勢の小作農が土地を奪われ、貧富の差が増大しました。食い扶持を失った農民は北朝鮮から中国、ロシアの方に難民として逃れていったり、日本に渡ってきたりしました。現在日本国内にいる在日朝鮮人と呼ばれる人たちの多くは、この時代に日本にやってきたのです。


日本本土での食糧増産に限界があったため、北海道の開拓が熱心に行われました。北海道は潜在的に食糧生産能力が高かったので、あっという間に農業大国になっていきました。その一方で、先住民族であるアイヌはまるで犬や猫を追っ払うかのように住む土地を奪われ、衰退していきました。


国内で増えすぎた人口は、とても全てをまかなうことはできませんでした。食い扶持にあぶれた日本人は、海外に渡っていきました。若い女性の多くは性奴隷として女衒によって海外に売られましたが、この人たちは「ジャパゆきさん、からゆきさん」と呼ばれました。


また、ブラジルやハワイなどに積極的に移民が行われましたし、若い男子は軍隊に入隊していきました。これによって日本は軍国主義へと傾いていったのです。


「人口は幾何級的に増大するが、食料は算術数的にしか増大しない」と述べたのは、18世紀の経済学者、トマス・ロバート・マルサスですが、人口抑制の手段を失った国家は、混乱し暴走するというのは、古今東西普遍の原理なのです。

投稿日:2015年10月5日  カテゴリー:院長ブログ

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