な食料が、その集団の構成人数を制限しているという事です。
このような環境で生活している先住民族は、新たに子どもを作るタイミングを失われていく人間と釣り合わせなければなりません。欲望の赴くままに、子どもを作ることは決して許されないのです。また、このような集団においては新たな命を迎えるためには、誰かが去らねばならないと考えますから、老人は長生きを美徳とは考えません。
狩猟採集民族の出産間隔は平均4年といわれています。一方で農耕民族の出産間隔は平均2年とされていますから、農耕民族の方が人口増加率は高くなります。しかし、増えすぎた人口は必ず争いを引き起こします。人類の歴史が戦争の歴史となるのは、農耕が人口の爆発的な増加を引き起こした結果の一つといえるでしょう。
先住民族は人間を三つの段階に分けます。初期の段階は自分の事が自分でできない状態。生まれてから5歳くらいまでの段階に相当し、この段階までは親が子どもの世話をします。
次の段階が、自分のことは自分でできる段階。この段階は5歳から成人までの段階で、食料調達や身の回りのことは一通り自分でできるとされる段階です。狩猟採集民族では5歳になると、男の子は大人の男たちと一緒に猟に出、狩猟の技術を学び始めます。女の子は大人の女の人に連れられて木の実や山菜など、採集の仕方を学びます。この段階になると、一人の人間として扱われるようになるとともに、与えられた役割をこなすことが求められます。
最後の段階は、自分のことは自分ででき、さらに家族や共同体のために十分な働きができるとみなされる段階です。この段階になって初めて先住民社会では一人前の成人であるとみなされます。結婚はこの段階に達して初めて認められるのです。
しかし人間は、必ず老います。気力と体力に満ち溢れ、世のため人のために立派な働きをしていたものであっても、やがてはだんだんとできないことが増えていき、ついには自分のことを自分でするのが精いっぱいとなってしまいます。こうなった時に共同体から求められることは、弱った老人を助けあい、支え合う事ではありません。
老人は自分の事が自分でできるうちに、自分自身の処理を求められます。自分を処理しなければ、新たな命を迎えられないことが分かっていますから、老人は後進のために道を譲ります。基本的に自分を生み、育ててくれた親を介護するという発想は、先住民族にはありません。
このような先住民族の人間観は、残酷なのでしょうか?僕的には、どうしたっていずれ人間は死ぬ運命なのにもかかわらず、無理やり生かし続け、生きている間続く苦しみをいたずらに引き延ばすことが人の道であるとは、どうしても思えないのですが。