日本は瑞穂の国ということで、古来から米を栽培してきました。米は日本人の主食であり
、日本人の魂である、なんて言う人がいますが、そりゃちょっと、発想が飛躍しすぎでは
ありませんか?
少なくとも弥生時代、今から2500~3000年くらい前から、日本では稲作が盛んに行われてきました。稲作によって日本の人口も増大し、米を主食にするようになったとされています。しかし、江戸時代を見ても、庶民と支配階級では同じものを食べてはいませんから、昔の日本人が一律同じようなものを食べていたと考えるのも無理がありますね。
日本人が長らく米を主食にしてきたというのなら、江戸時代の農民は、晴れの日くらいしか米を食べることが出来ず、普段は麦や雑穀の飯を食っていたというのは、どういう事なのでしょうか。江戸時代の日本人のおよそ8割は農民だったわけですから、日本人の8割は米を主食にはしていません。
また、日本人が白米を食べるようになったのは江戸時代、特に元禄以降という人がいます。何を根拠にそんなデタラメをいっているのでしょうか?そもそも、弥生時代にすでに原始的な臼と杵が発見されています。臼と杵は、我々からすれば餅を搗くためのものとお考えでしょうが、臼と杵の正しい使い方は違います。
臼と杵の正しい使い方は、精米です。玄米を臼に入れ、杵で突くことによって精米するために、臼と杵は作られました。ちなみに臼と杵のルーツは中国です。今でも5分搗き米とか7分搗き米とか呼ばれるところに、その名残があります。
江戸時代に精米技術が進んだことは確かですが、だからといって江戸時代以前の、特に大多数の日本人が玄米を主食にしていたという事実は確認されていません。そもそも、日本において玄米が主食とされていた時期など、実際には無いと考えるのが最も妥当です。
ちなみに世界の文明と食を調べてみれば、文明化以前の原始的な生活を営む先住民社会に菜食主義はありません。動物性食品と植物性食品が共に手に入る環境ならば、必ず動物性食品を優先して摂取しています。植物性食品中心、もしくは植物性食品のみで生活するという、菜食主義や玄米菜食のような食生活は、文明化以降の社会でのみみられ、さらに宗教やイデオロギーによってのみ存在しているのです。
菜食主義や玄米菜食のような食生活は、宗教やイデオロギーによって生み出されたものであり、自然発生的な食生活としては存在しません。存在しない食生活が日本人本来の食生活だとか、日本人にとって理想の食生活だとするのは非常に無理があります。無理を通すために、怪しげな陰謀論に走る人が見受けられますが、そんなにひねくれずに、現実を直視した方が良いでしょう。これ以上笑い者になる前にね。