お肉を食べないという人の中には、「動物を殺して肉を喰うのはかわいそう」という人も
います。このような考えは、一見まともな考え方に思えます。僕は動物を殺して肉を喰う
のをかわいそうとは思いませんが、僕の感覚の方がおかしいのでしょうか?
実は、この考え方を突き詰めていくと、非常に深いところに行き着きます。上手く表現できるか分かりませんが、この考え方がなぜ生まれたのか?そのルーツを探っていきたいと思います。
まず重要な事として、先住民族で菜食主義や菜食中心主義のような食生活をしている民族はいません。先住民族や(特に西洋化していない)伝統集団においては、動物の肉が手に入るときは、ほとんど必ず植物性食品よりも肉を優先して食べます。狩猟民族においては、成人男子の主な役割は、肉の獲得にあるといっても過言ではありません。
狩猟民族とは、狩猟、採集、漁労で生活している民族を指します。とはいっても、多くの狩猟民族では、実際には農耕も行っています。アマゾンのジャングルに住むピダハンは、マニオク(キャッサバの別称)を栽培していますし、アマゾンの他のインディオであるヤノマミは、タロイモやバナナ、サトウキビなどを栽培しています。北海道の先住民であるアイヌは、ヒエ、アワ、キビ、ソバなどの雑穀や大豆、大根、馬鈴薯などを栽培していました。
では、これら狩猟民族と農耕民族との違いは何なのでしょうか?食料獲得における狩猟と農耕の差(比率)なのでしょうか?いえ、そうとは言えません。基本的に緯度の高い寒冷な地域に住む民族ほど、植物の生育には不適なため、相対的に動物性食品の摂取比率が高まります。一方で赤道近くの温暖な地域に住む先住民族では、狩猟対象の動物が小型化する一方で、植物の生育に有利になることから、植物性食品が優位になっていきます。
地域による特徴はあっても、狩猟民族と農耕民族には厳然たる違いがあります。それは、狩猟民族であれば成人男子は主に狩猟(もしくは漁労)を行って動物性食品を得、女性は採集または農耕で植物性食品を得るということです。一方で農耕民族は、成人男子が農耕を行います。
男性と女性では、男性の方が体格が大きくて力が強く、運動能力に優れています。原始的な社会では、動物性食品獲得における優位性は、ハンターの能力に依存します。優秀なハンターが多いほど、動物性食品を獲得できることになるのです。ですから狩猟民族では、地域によって多少の差はあれ、常に男はハンターであり、農耕を行うことはありません。
もし先住民族の中に「動物を殺して肉を喰うのはかわいそう」という考えがあるのなら、特にその地域で農耕が可能であるならば、きっと狩猟を行う事を止め、農耕民族に変化するでしょう。逆にいえば、そう考えないから狩猟民族を続けているのだともいえます。
では、農耕民族は「動物を殺して食うのはかわいそう」と考え、農耕主体の生活に移行した人たちなのでしょうか?そうであるならその末裔である我々日本人もまた、「動物を殺して食うのはかわいそう」と考えて、何ら不思議ではありません。しかし実際には、農耕民族はそのような考えで狩猟民族から転向したわけではありません。
次回は、農耕民族はいかにして農耕民族になったのか、について説明します。