余談ですが、かつて著名な自然農法家とお会いした時に、その方は以前は別の職業をして
いて農家に転職したというので、「なぜ農家になったのですか?」と尋ねたところ、「人
間、最終的には土の元に帰ってくるものですよ」とおっしゃっていました。それを聞いて
、僕は何だかとても違和感を感じました。もちろんその方はとても素晴らしい方ですし、
尊敬しています。同様に、最近「狩りガール」とかいって、若い女性で狩猟を行う人が増
えていると聞いても、違和感を感じました。だからといって、僕は女性は狩猟なんてすべ
きでないと考えているわけではありませんよ、念のため。
今思えば、先住民族の研究を進めていくほどに、人間本来の生き方でいえば、男は狩猟をする生き物であり、女は採集や農耕を行う生き物なのだということが分かってきました。この役割分担が人間の生物としての本来の特性なのだから、男が農耕を行ったり、女が狩猟を行ったりするということに違和感を感じたのでした。
男が農耕を行うことは、人間本来の特性ではありません。実際定住集落を持っている狩猟民族は、たとえ農耕に適した土地があっても、農耕民族に移行しません。北海道は47都道府県で農産物生産高ダントツトップであることから分かるように、農耕に適した肥沃な土地です。にもかかわらず、北海道でアイヌが農耕民族になることは、ついにありませんでした。
国家成立に向かう社会が「バンド」「部族」「首長制社会」「未開国家」の順に変化したとする、エルマン・サーヴィスの有名な説があります。しかしこれは地域コミュニティの人口が単純に増加したから、社会システムが複雑化していったというような、単純な話ではありません。社会の適正な規模には正当な理由があり、人口を増加させる要因や、抑制する要因はそれぞれの社会システムに独特な特徴があります。
狩猟民族は良く知られているように、バンド(血族集団)ないしトライブ(部族集団)として存在しています。チーフダム(首長制社会)以上の規模の狩猟民族というのは、基本的に存在しません。これにもまた、ちゃんと理由があります。
狩猟民族というのは、狩猟や漁労で動物性食品を獲得することに特徴があります。それゆえ、狩猟民族の発展形は農耕民族ではなく、遊牧民族です。すなわち、動物性食品を野生動物に依存するのか、家畜動物に依存するのかの違い(変化)です。遊牧民族は社会を拡大させることが可能であり、実際かつて中央アジアで興った遊牧騎馬民族国家は、歴史上ユーラシア大陸の半分以上を支配下に置いたこともありました。
狩猟民族と農耕民族とを比較した場合、良くいわれるのが住民の健康状態と平均寿命です。調査対象や調査法によってばらつきはありますが、概ね狩猟民族は農耕民族よりも住民の健康状態がより良く、またより長生きであることが知られています。この事実から考えれば、「動物を殺して肉を喰う」のがかわいそうというよりは、「不健康で早死にする社会に住む人」の方がよりかわいそうだと、僕は思います。
次回は、今度こそ、狩猟民族から農耕民族への変化について書きます。