ここまでの話をまとめると、狩猟民族でも農耕を行う場合があること。狩猟民族が農耕を
行う場合、その主体は女性や子どもであり、成人男子は通常農耕を行わないこと。ただし
、狩猟民族でも格差社会で奴隷が存在する場合、奴隷は農耕に携わること。ということで
した。
こう考えると、狩猟民族と農耕民族との違いというのは、ずいぶん曖昧な感じがします。狩猟民族と農耕民族を分ける場合、どこで線引きをすれば良いのでしょう?
まず、農耕を行う狩猟民族は、地域コミュニティの人口が増加しても、農耕民族には移行しません。狩猟民族は自分の所属するコミュニティの人口を厳密に管理しています。人口が増えれば食料生産を増やし、増えた人間の食料を賄うということはしないのです。これは随分と不思議な事のように思います。
例えばヤノマミでは、子どもが生まれると女性は子どもを人間として育てるか、精霊のまま自然に返すかの選択します(ヤノマミは妊娠を精霊がお腹に宿ると考えるため)。かつてヤノマミ社会では、乳幼児の死亡率が30%ほどだったのですが(これは世界の先住民族とほぼ同じ)、FUNAI(ブラジル国立インディオ基金)が保健所を作り、医療を提供するようになって乳幼児死亡率が2%まで劇的に低下しました。ところがこれによって生まれた赤ちゃんが精霊のまま自然に返される確率もまた、高くなってしまったのです。
精霊のまま自然に返すというのは、要は嬰児殺しです。ヤノマミで嬰児殺しが増えたことは、ヤノマミの集落で人口調整が行われていることの証です。アイヌの集落でも同様で、狩猟民族では集落の人口が一定規模以上にならないよう、人口抑制が行われています。
一方で農耕民族では、集落や地域コミュニティ、国家レベルにおいてさえも通常人口調整は積極的には行われません。日本は江戸時代までは国家レベルで人口調整が良好に行われていたことが知られていますが、これは世界的にみれば極めて例外であり、奇跡のようなものです。
狩猟民族はなぜ人口調整を行うのでしょうか?実はその理由こそが、狩猟民族が狩猟民族たる所以でもあるのです。
狩猟民族の社会においては、基本的に人は皆平等であり、公平に扱われます。アイヌのような格差社会においても、基本的に集落全員の食と安全は保障されています。アイヌはウタレという奴隷を使っていたことが知られていますが、ウタレであっても家族の一員とみなし、食事を与え保護していました。
アイヌ社会では、ウタレになるのは戦争における捕虜であったり、または経済的に困窮したものが富と引き換えにウタレになったりする場合がありました。アイヌ語で貧乏人は「ウェン・クル」といいます。「ウェン」とは「悪い」という意味であり、「クル」は「人」という意味ですから、アイヌでは貧乏人と悪人は同じ意味なのです。
アイヌ社会では、力を持つ者が社会的弱者を救済する責務を持つと考えられており、一夫多妻制なのも夫を失った妻と子を保護するという意味を持ち、また経済的弱者をウタレとして家族の一因に迎え、保護していました。アイヌ社会もピダハンやヤノマミ社会も、その集落で抱えられる人口の上限というものがあって、その範囲内で共同体の成員全ての健康と安全を守るというコンセンサスが存在するのです。
では、狩猟民族の集落人口の上限を規定するものは何でしょうか、その話を次回書きます。