書き始めた当初はこんなに長くなるとは予想していませんでしたが、ちゃんと理解しよう
とすれば、やはりこれくらいの分量にはなっちゃいますね。何となく、いい加減に、漠然
と正しいと思っていることが実は違っていた、何てことが世の中には意外とたくさんある
ものだなと、僕も再確認している次第です。
さて、人類の元々の生活スタイルは狩猟採集であること、狩猟採集の発展形として、牧畜(遊牧)生活があること、一方で狩猟採集から農耕社会には通常、発展することはありえないことを説明してきました。ではなぜ農耕社会が生まれたのでしょう?今日はその成立の過程から説明します。
まず、農耕社会には支配層と非支配層が存在するんでしたね。食料生産の形態である農耕と牧畜のうち、牧畜を主な食料獲得手段とする遊牧民族では、集団内の人間の扱いは基本的には平等かつ公平であり、思想や行動規範も基本的なところは共通しています。ところが農耕社会では支配層と非支配層の人間の扱いは全く不平等かつ不公平であり、ともすれば支配層は被支配層を同じ人間とみなしてはいないのではないか?とさえ思えてしまいます。
なぜこれほどまでに、支配層と非支配層は異なっているでしょうか?それは、農耕社会成立の過程を知ることで理解できます。
農耕社会成立のためには、まず支配層が被支配層を見つけ、彼らを奴隷化する所から始まります。支配層は被支配層を同じ人間とみなすことは、どの農耕社会を見ても基本的にはありませんから、支配層と非支配層が同一民族から分かれたとは、どう考えてもあり得ないでしょう。
実際農耕社会は初期の文明国家成立と関わっていて、文明国家は戦争によって築かれます。すなわち、ある明確な意図を持った集団が、他の集団を武力(暴力)で征服し、奴隷化し、農奴にして農耕を強制することによって、農耕社会は生まれるのです。ですから農耕社会においては、特に初期の農耕社会では、支配層と被支配層では人種、民族、文化、言語などの全く違う集団に分かれます。
これは考えてみれば当然ですね。人間は自分と同じ肌の色を持ち、同じ言語や文化的基盤を持ち、ましてや共通の祖先を持っている人間を奴隷化したりは普通できませんよね。アイヌでは奴隷も人間として扱っていました。しかし農耕社会では奴隷を人間としては決して扱いません。奴隷を人間としてではなく、牛馬のような家畜として扱うことが、農耕社会誕生の大きなポイントとなるのです。
支配層は被支配層を奴隷というよりも、家畜として扱います。家畜なのですから、自分たちと同等の健康や長寿を与える必要はありませんし、与える気もありません。だから人間の健康にとって最も大切でかつ貴重な食料である動物の肉を、家畜なんぞにくれてやる筋合いは無いって考えるのも、無理はありません。
長くなりましたので、続きは次回で。