さて、そろそろ最初の命題についてまとめようと思います。そもそも人類は歴史的には狩
猟採集で長らく生活していて、農耕社会が現れたのは、ごく最近の事です。狩猟民族や遊
牧民族は動物を殺して肉を喰って生活している人達ですから、動物を殺して肉を喰うのは
かわいそうなどとは考えないでしょう。いや、ひょっとすると考えるのかもしれませんが
、だからといって肉を喰うのをやめようとまでは考えません。だって、やめたら飢え死に
してしまいますし、死にはしないまでも健康で生き永らえることはできないのですから。
人類の長い歴史や、積み重ねてきた伝統や伝承からは、肉を喰う事が人間本来の健康を維持していく事に、どれだけ重要な事かは一目瞭然です。にもかかわらず、肉を喰うのはかわいそうだから、自分は肉を喰わないなんて考える人が現れることは、普通に考えれば非常に奇妙な事です。
しかし、農耕社会の成立と、農耕社会の発展、農耕社会から工業化社会への発展の経緯を知れば、その答えが見えてきます。人類が自然と共生することを捨て、自然を破壊し、動植物を次々と絶滅に追い込み、環境を汚染しまくってなお、全く反省することなくますます破壊を加速させている人類の行き着く先は、一体どこなのでしょうか。
なぜこんな世の中になってしまったのか。そのきっかけは、やはり人間が最高の家畜を飼い馴らすことに成功したことにあるのでしょう。その最高の家畜とは、人間です。人間ほど高度な知能を持ち、優れた運動能力を持ち、マルチな才能を持つ動物は他にいませんから。
高度に文明化された社会では、もはや誰もが自分を家畜と思ってはいないことでしょう。多くの人は、自分が支配されているという感覚すら、持ち合わせてはいません。しかしそれでも、生まれたときから刷り込まれてきた家畜としての思考や感情、行動はしっかり染み付いています。そしてまた、模範的な家畜であろうとすることが美徳であるという、宗教観や倫理観もまた、疑うことなく受け入れています。
そんな典型的、模範的な家畜が自分の家畜としての優秀さを誇示するための言葉や行動が、「動物を殺して肉を喰うのはかわいそうだ、だから肉を喰ってはいけない」ということに端的に表れているのだと、僕は考えます。