かつて糖尿病は、発症したら治療法は無く、死の病気として非常に恐れられていました。
糖尿病になると、喉が非常に乾き、水をたくさん飲むようになります。また、疲れやすく
なり、感染症にかかりやすくなります。症状が進行すれば、手足の先に麻痺が起こったり
、壊死が起こったり、失明したり、腎不全になったりして、最後は死が待っています。
糖尿病という名前は、糖尿病患者の尿が甘く、糖が認められることから名付けられました。1815年に、この糖が血糖由来のグルコースであることが判明します。
糖尿病は糖が過剰となって尿から出る病気であるということから、糖尿病の治療として、19世紀までは糖質制限が一般的な治療法となっていました。しかし、糖尿病患者は富裕層に多く、また非常に甘い物好きの人が多かったため、食事指導は当初から難しかったようです。
1871年、普仏戦争でパリがプロセイン軍に包囲されました。長引く包囲でパリの食料事情が悪化し、パリ市民の栄養状態が悪化していく中、なぜか糖尿病患者の病態が劇的に改善しました。このことから、糖尿病における飢餓療法(カロリー制限)が生み出されました。
1901年、オピエによって糖尿病は膵臓のランゲルハンス島にあるβ細胞の機能低下が原因であることが分かりました。1921年にバンティングとベストによってインスリンが同定・分離されました。1922年に、イーライ・リリー社は世界初のインスリン製剤「アイレチン」を発売しました。
この「アイレチン」によって、不治の病であった糖尿病のコントロールが可能となりました。これに伴い、糖尿病患者にとって苦痛であった食事制限(糖質制限、カロリー制限)は不要になり、インスリンでコントロールすれば良いという風潮が広まっていきました。
製薬会社が画期的新薬を開発・販売するようになり、いつしか人々は、西洋医学依存、薬依存となっていきました。病気になっても今は良い薬があるから治療すれば良いという風潮は、病気の真因の究明や予防法に対する関心を人々から失わせていきました。
また、19世紀までは肥満は貧困問題と認識されていました。これは肥満が蔓延している地域は食料供給が乏しく、慢性的な貧困地域でもあったからです。現在でもアフリカの難民キャンプで栄養失調の子どもを医療キャンプに連れてくる母親のほとんどは、ひどい肥満体になっています。また、アメリカでもっとも肥満率が高い人たちは、ネイティブ・アメリカンの人たちで、貧困率もまた非常に高いことで知られています。
しかし第二次世界大戦後、アメリカの栄養学者を中心に、肥満は高カロリー食が原因であるとされました。そして肥満や糖尿病の治療や予防として、カロリー制限が強く叫ばれるようになりました。戦後急増し、社会問題となっていた肥満や心疾患の予防のため、高カロリーの動物性タンパク質や脂質を避け、低カロリーの植物性食品や穀物を中心とした食生活を推奨しました。
しかし、植物性食品中心の食生活は、必然的に高糖質の食生活になります。事実、アメリカでは肥満や心疾患、糖尿病の患者は減るどころか、ますます増えていきました。それに伴い、製薬会社の医薬品の売り上げはうなぎのぼりに増え、製薬会社は巨大企業(ビッグファーマ)へと変貌していったのです。
とまあ、簡単にインスリンの歴史を説明しました。現代の栄養学はバックに製薬業界が存在します。栄養学的知識や指導は、製薬会社をより豊かにするために広められてきました。この事を知らずして、今の医学を語ることは決してできません。