「人は疑問に対して想定される答えが一つしか思いつかない場合、往々にしてその答えが
真実だと思い込む」
皆さんは、「人間はサルから進化した」という考え方を、何となく正しいと思っているでしょう。正確には、人間はサルと共通の祖先から進化した、なのですが、いずれにせよ、こういった考え方は19世紀の科学者である、チャールズ・ダーウィン(1809~1882)によって提唱された、「進化論」という考え方に基づいています。
科学の世界では、概ね進化論の考え方は正しいと考えられています。ダーウィンは進化の原理を発見して、ずいぶん経ってから、有名な「種の起源」を発表しました。これはなぜかというと、ダーウィンは自分の理論が何を示しているかを、良く分かっていたからです。進化論が示すもの、それは、「神は存在しない」ということでした。
これはどういうことかというと、例えば皆さんが車を見たとします。タイヤが4つあって、運転席の前にハンドルがあり、フロントガラスにはワイパーが付いています。車はデザイン化された(設計された)人工物であり、タイヤにも、ハンドルにも、ワイパーにも、全て意味があります。そして全体的に調和がとれ(ているように見え)て、美しく感じます。
車は人や物を運搬するという目的を持って作られています。ボールペンは字を書くため、ハサミは紙や布を切るため、歯ブラシは歯を磨くため、コップは水やコーヒーを注ぐためという目的を持っています。そして道具を構成するパーツの全てにもまた意味があり、目的を持っています。
人間が作り出すものには全て意味があり、目的を持つのであるなら、自然界の生命体にも全て意味があり、目的があると、昔の人は考えました。人間はとても精巧に作られた機械のようであり、このような精巧な機械を人間が作り出すことはできません。人間どころか、蟻やミミズのような生き物でさえ、人間は作り出すことができません。
自然界を見渡せば、そこには驚くべき精巧な生物たちで満ち溢れ、自然は調和を保っているように見えます。この精巧さ、絶妙なバランス、そしてその全てに目的があって存在している(ように見える)ことから、昔の人は、このような世界を作り出すことができるのは、とても人間業ではなく、人間よりも何百倍、何千倍も優れた存在が作り出したのだろうと考えました。この優れた存在を、万物の創造主とか、全知全能の神と呼ぶようになりました。
世界の民族や文化を見渡せば、そこには何千もの創造神話や創造記が存在します。先住民族もまた、自然崇拝的宗教観の根底に、この万物の創造主が世界を作り上げた創造神話を持っています。人は未知のものに対し、答えを求めたがります。我々はどこから来たのか、世界はいつから始まったのか、このような答えを求めたときに、古今東西あらゆる人たちは、シンプルに神の存在を考え出しました。
神の存在が全ての疑問に答えを与えてくれる(様な気がする)がゆえに、神の存在は当然のこととされ、神の存在を前提とした宗教が生まれました。
とまあ、話が長くなったので、続きは次回に。