日本の、いや、世界の栄養学の祖とされる佐伯矩(さいきただす)ですが、彼の行った研
究を紹介します。彼が行った研究を知ることで、当時の日本や世界の状況や、なぜ研究の
世界から追放されたのかが分かると思います。
佐伯矩は1905年から8年間、イェール大学に留学し、医化学を学びました。ここで当時最先端の栄養と健康との関係について学びました。8年間留学した後、父親の様態が悪くなったため帰国。結局父親は死去しましたが、そのまま日本に留まり1914年私立の栄養研究所を設立。ここから佐伯の栄養学研究が始まります。
1920年には国立栄養研究所が設立され、佐伯は初代所長に任ぜられます。ここで栄養学の研究や発表を行い、日本のみならず世界に多大なる影響を与えました。そんな佐伯の業績の代表的なものを挙げます。
・断食と基礎代謝の研究
・毎回完全食の研究
・米の精製度の研究
・食品成分一覧表の作成
・調理と栄養素の関係の研究
当時としては画期的な研究の数々であり、ゆえに佐伯矩は国立栄養研究所を追放され、国立研究所は閉鎖されました。戦後国立栄養研究所は復活したものの、戦前佐伯が積み重ねてきた研究成果はことごとく無視されました。そしてそこに、アメリカから伝わってきた栄養学が入り込み、現在に至るというわけです。
佐伯の行った研究とはどんなものだったのか、もう少し詳しく説明しましょう。
まず、「断食と基礎代謝の研究」ですが、これは人間が生命を維持するためにどれだけの熱量が必要か、という研究です。これは栄養学の基本的な研究の一つで、リービッヒやその弟子のフォイトとペッテンコーファーの行った実験によって、人間の一日の基礎代謝量が測定されていました。
佐伯は断食によって外からのエネルギー供給が一切断たれた場合に、基礎代謝がどう変化するかを調べました。すると、断食中は基礎代謝量も減っていくが、ある一定量以上は減らず、それ以上続けると餓死してしまうということが分かりました。この最低量を「根基代謝」と名付けました。これによって人間が健康で生きるために必要な最低エネルギー量が知られるようになりました。
この研究が意味するところは、当時深刻な食糧難であった日本において、人は最低どのくらいのエネルギーを摂取すれば生き延びられるか、という基準を設けることにつながりました。
次の、「毎回完全食の研究」と、「米の精製度の研究」の説明ですが、これは長くなるので次回説明します。