伝統的な生活を営む先住民族は、狩猟や漁労を行い野生動物の肉や魚介類を獲ります。採
集によって根菜類や木の根、果物、堅果、山菜なども採りますが、植物性食品はあまり重
要とはされず、可能であればいつでも動物性食品を優先して獲り、食べています。
たとえ回りに十分な植物性食品があっても、狩猟民族は狩りを止めようとはしません。よほどの悪天候でない限り、狩りに行ける時はいつでも狩りに行って獲物を捕らえようとします。そうして得た肉は真っ先に分配され、優先的に消費されます。
狩猟民族にとって、狩りは危険が付き物。実際に狩りで命を落とす人も少なくありません。ならばなぜ食料が周りにあっても狩りにこだわるのでしょうか?それは、自分や家族、集落の人々にとって、動物性食品こそが真に栄養がある食べ物であり、一族や民族の健康を維持していく上で欠かせないものであることを、知っているからです。
だから男はいつだって命がけで狩りに行きますし、狩りで自分や家族を養うに十分な獲物を獲れるようになって、初めて男は結婚し、妻を持つことが許されるのです。
動物性食品を優先するのは狩猟民族だけではありません。ニューギニアの高地に住むメラネシア人は、普段の食事の9割をサツマイモに頼って暮らしています。ニューギニア高地で耕作可能な土地はすべてサツマイモ畑にされ、そこで採れたサツマイモが彼らの命の綱となっています。
ところが不思議なことに、ニューギニア高地人は豚を家畜として飼っています。家畜の肉はとても貴重ですから、何かお祝い事やお祭りのときにだけ食べることが許されます。そしてまた、家畜は財産を表し、紛争の調停や示談金として、または結婚時の結納金として、貨幣の代わりに豚が支払われます。
ニューギニア高地人にとって、サツマイモは貨幣の代わりにはなりません。そしてまた、豚を飼うことで豚の飼料としてもサツマイモが消費されてしまいます。豚を飼うのを止め、豚の飼料として消費されるサツマイモを人間が消費すれば、もっとたくさんの人間を養うことが出来るのにもかかわらず、です。
ニューギニア高地人は、経験から知っているのです。それは、動物性食品を摂らないと、人間は健康ではいられないことを。だからこそ、豚という家畜を彼らは決して手放さないのです。
ちなみにニューギニア高地人は、豚だけでは十分な量の動物性タンパク質を賄えないからか、人肉も食べます。とはいっても食べるために人を殺したりはせず、不幸にして死んでしまった人を、お葬式の儀式として死体の肉を残った人たちで食べるのです。人肉を食べる風習をカニバリズムといいます。彼らの伝統文化としてのカニバリズムもまた、必要な動物性タンパク質を確保するための方法なのでしょう。
かつて人類は全て狩猟採集生活を送っていました。人類が初めて食料生産を始めたのは、実は農耕ではなくて牧畜、すなわち家畜を飼うことだったという説があります。いずれにせよ、現在知られている先住民族の中で、肉を食べないとか、意識的に動物性食品を排除し植物性食品中心としている民族は全く存在しません。もちろん玄米中心の食生活をしている民族だって古今東西全く存在しません。この事実が何を示しているのかは、一目瞭然だと考えるのは、きっと僕だけではないでしょう。