恐らく初期の農耕社会成立の直接のきっかけは、青銅器や鉄器など、金属器の発明による
ことでしょう。それまでの石器を使っていた時代から、金属器を使用するようになって、
攻撃力がけた外れに大きくなります。金属器を最初に手に入れた民族は、それこそ今でい
えば核兵器を持つくらいの強力なインパクトで、他民族を圧倒することができたでしょう
。
日本においても、石器を用いて生活していた縄文社会に、朝鮮半島から鉄器(ちなみに青銅器も)を持った大陸人が侵入してきて、あれよあれよという間に日本を征服していきました。征服した大陸人(弥生人)は、土着の異文化を持つ縄文人を次々と奴隷化、家畜化し、農奴として稲作をさせるようになりました。これが日本における国家成立の始まりです。
征服した少数の支配層は、多数派の被支配層を武力だけで支配したのでしょうか?恐らく武力だけでは多数派を完全に支配下に置くことは難しいと思われます。そこで支配層が利用したのが、宗教やイデオロギーといった、人工的な概念です。支配層は被支配層の肉体を物理的(暴力的)に支配するのみならず、その精神も支配することによって、安定した支配の基盤を築くことに成功しました。
今では当たり前に広まっている宗教という概念ですが、実は狩猟民族や原始的な遊牧民族においては、宗教という概念は存在しません。もし彼らに宗教的概念があった場合、それは必ず文明社会から持ち込まれたものです。
しかし皆さんの中でちょっと先住民社会を知っている人がいるなら、彼らにもアニミズムという宗教的概念があるだろうと思われるかもしれません。確かに狩猟民族や遊牧民族にはアニミズムがあります。しかしアニミズムとは、「自然崇拝」であって、宗教ではありません。
宗教とは、教祖がいて、教義があり、信仰する信者がいるものを表します。自然崇拝には教祖も無ければ教義もありません。ただただ自然の偉大さを崇敬し、自然の声に従うというだけです。宗教はそれが古典宗教であれ、新興宗教であれ、カルトやセクトであれ、全て人間が作ったものです。そして人間が作った教義を盲目的に、絶対視して信仰することが、宗教の本質なのです。
ですから宗教は農耕社会から生まれ、また農耕社会にしか元々は存在しません。農耕社会に宗教がある理由は、被支配層を家畜化するための洗脳手段でしかありません。イデオロギーもまた、似たようなものです。
支配層の持つ圧倒的な武力(暴力)に屈した民族は、せめて奴隷的支配の構図の中で、家畜として扱われている自分を慰め、自己正当化する必要があります。奴隷はその生活に慣れると自分をつなぐ鎖を自慢するようになる、という言葉があります。何とも皮肉な言葉ですね。そんな絶望的な状況の中で、人は宗教やイデオロギーに精神の救いを求め、せめて従順な家畜になることでご主人様に少しでも気に入られよう、少しでもかわいがってもらおうとする人間が現れるのも、無理は無いことなのでしょう。
次回でそろそろまとめようと思います。