世の中を相対化して見ることができるようになると、世界の見方が変わってきます。しか
しこれがなかなか難しく、完全にできている人はまずいません。僕自身、相対化しきれて
いないところが多々あると自覚しています。
相対化するということは、絶対化しないということ。絶対化とは、何であれこれは絶対に正しい、という考えを指します。だから相対化するということは、「世の中には何であれ、絶対に正しいというものなど無い」と考えることになります。
僕はなるべく相対化して物事を見るようにしていますから、誰のどんな言動であれ、絶対は無いと考えています。世の中の全ての理論は精度の差はあっても全て仮説であり、「定説」は存在しないとか、どんなシチュエーションであっても、完全な「真実」というものは存在しないとか、そういう考え方です。
だから「神は存在する」ということも、そういう考え方もあるね、くらいにしか思いませんし、聖書の記述だって、誰かの考え方や行動が記録されているにすぎないと思っています。
相対化した考えになると、必然的に宗教は否定されます。というのも宗教はどんな宗教であれ、必ず思想を固定化、絶対化するものだからです。だから宗教の信者となるということは、絶対化した価値観を受け入れることになり、絶対化した価値観を受け入れるということは、それ以外の全ての価値観を頭ごなしに否定するということになります。だから信仰を持つ人とは議論ができません。
世界を相対化して見ることができるようになれば、誰が何を言っていても、「ああこの人はそう考えているんだな」と受け止め、客観的に判断できるようになります。完全に相対化することができれば、オープンマインドですべてを受け入れることができるようになるのです。取り入れるかどうかは別としても。
科学の進歩とともに、今まで絶対だと思われてきたことの多くが、実は絶対じゃなかったということが分かってきました。時間や空間でさえ、絶対ではないとアインシュタインが見抜いたように、科学もまた絶対ではありません。
相対化すると絶対が無くなるから、あらゆるものの答えが無くなってしまいます。これは混乱するし、不安に感じることでしょう。それでも、答えが無いから面白い、世界は分からないから知ろうとする努力をし続ける場所だ、と思い定めることができれば、人生は楽しく、面白いものとなることでしょう。