昔から人類は、自然の精巧さや多様性、その調和や永続性に神秘性を感じていました。一
握りの砂を空中に放り投げると、偶然懐中時計が組み上がるなんて、そんなことある訳あ
りませんよね?昔の人もまた、こんなにも調和のとれた壮大な世界が「偶然に」出来上が
るわけがないと考えました。このような世界が偶然できるのでなければ、それを作った人
がいるはずだ、いや、人すら「作られたもの」なのだから、人を作ったのは、人よりもは
るかに優れた生き物に違いない、と考えました。
この世界を作ったもの、万物の創造主を、人は「神」と呼ぶようになりました。神は万物の創造主であり、万能であると考えられました。人間が懐中時計を作るとき、時間を測るという目的で懐中時計をデザインし、作るように、神もまた、全ての自然の構造物、植物や動物といったすべての生命体にもまた、目的があってデザインされ、作られたと考えました。
全ての生命体に目的があるように、人間にもまた、この世に生を受けた目的があるはずだ、というのが宗教の考え方のベースとなっています。しかし自然界に存在するすべての生命体は、人間を除いて自分がこの世に存在する目的を理解していて、その通りに生きているように見えるけれど、人間は自分がどういう目的でこの世に生を受けたのか、どう生きれば良いのか知らないと考える人が現れました。いや、正確には、そう言う人が現れただけですが。
その人は、こう言いました。「神はあなた方人間を作った時、目的を与えた。しかし今の人間たちは、神が求めた目的に従わず、自分勝手に生きる人たちばかり。今こそ神の教えに立ち返り、人としての正しい生き方を実践すべきだ」と。多分、預言者と呼ばれた人たちは、似たようなことを言ったことでしょう。そして神の教えを皆に伝えるとして、教えとか教義とかを人々に説き始めました。これが宗教の始まりです。
全ての宗教の根本には、神の存在があり、神の存在の根本には、万物の創造主が存在するという考え方があります。これは原始宗教であっても、キリスト教、イスラム教、仏教のような古典宗教であっても、創価学会やモルモン教、サイエントロジーのような新興宗教であっても、その根本思想は同じです。
それに対しダーウィンは、この考え方を真っ向から否定しました。彼は、一握りの砂を空中に放り投げて、生命が誕生したと説いたのです。まあ、そう直接言ったわけではありませんが、進化論とは突き詰めればそういうことなのです。
それではダーウィンは進化論の中で、自然の存在や生命の成り立ちをどのように説明したのでしょうか?それは次回お話しします。