医療法人社団楡樹会 稲毛エルム歯科クリニック

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穀物は家畜のエサ


人間が農耕を開始したのは今から1万年ほど前の肥沃三日月地帯における、エンマーコムギ(フタツブコムギ)の栽培化とされています。ちなみに米は8500年前の中国南部がその始まりとされています。さてここで問題なのは、なぜ現生人類は農耕を始めたのか、その理由です。この問いに対し、現在入手可能な証拠から考察される最も現実的な仮説は、「穀物は家畜のエサ」として栽培されるようになったという仮説です。

小麦や大麦の若芽やひこばえは、牛や羊、ヤギなどの反芻草食動物の良いエサになります。そしてまた人類が狩猟採集で生活していた時から、食料生産を開始したのは農耕ではなく、牧畜(遊牧)からであったことが考古学的調査から示されています。

人間が最初に家畜化した動物はイヌであり、現状で最古のイヌの遺骨の年代分析ではおよそ3万6千年前とされています。家畜化当初のイヌの利用法として、狩猟の補助であったことが、およそ4万年前ごろから始まるグラヴェット文化期の、マンモスの骨の大量出土が示しています。すなわちイヌを家畜化することによって、マンモスをはじめとした大型哺乳類の狩猟をより効率的に行えるようになったということです。

現生人類到達前のヨーロッパ先住民であるネアンデルタール人は、待ち伏せ型の狩猟スタイルでした。彼らの骨格形態は長距離走には適しておらず、またネアンデルタール人のものとされる遺構には、アトラトル(やり投げ器)や弓矢は見つかっておらず、彼らは接近戦で獲物を倒していたと考えられています。

これに対し現生人類は長距離走に適した肉体となっていて、これが追跡型の狩猟スタイルを採っていたとされる理由です。現生人類は投槍や弓矢、吹き矢などを用いて動物を負傷させ、弱って倒れるまで獲物を追跡し続けたと考えられています。毒矢もきっと用いられたことでしょう。現生人類が5万年前にユーラシア大陸に進出した時、タイリクオオカミと出会ってこれを家畜化したことで、彼らの狩猟効率は飛躍的に向上したと考えられています。

ところが気候変動と現生人類による大型哺乳類の乱獲によって、マンモスやケブカサイなどの大型草食動物が次々と絶滅していきました。これに伴い、狩猟対象動物がだんだんと小型化していきました。

ヘラジカやカリブー、アカシカなどのシカ類、オーロックスなどの牛の祖先などを優先的に狩るようになっていきましたが、これらの動物は大きな群れを形成するという特徴を持っています。

現在では牧畜といえば囲いに家畜を囲って飼育するというスタイルを思い浮かべるでしょうが、牧畜の始まりは野生動物で群れをつくる動物を追って、群れの管理をしながら再生可能資源として定期的に肉を獲っていたと考えられています。このスタイルは現在でもシベリア地方のトナカイ遊牧民であるネネツ族などが行っていますし、南米ペルーなどでのアルパカの飼育もまた、放牧スタイルで行われています。

かつて北米の大平原部でバッファローの群れを追っていたインディアンも、半牧畜状態であったとされていますし、これら牧畜動物は野生種と区別できず、またされていません。

そうであるなら、およそ1万年前に野生ムフロンから家畜動物であるヤギを作ったことが、牧畜の始まりとするのは無理があるでしょう。実際にはもっと古くから牧畜が行われていたとすべきです。

人類は元々肉食動物であり、イヌを家畜化して狩猟のパートナーとしたことが、遊牧民族の誕生のきっかけとなったというのは、多くの古生物学者や考古学者、人類学者の主張であり、僕もそうであろうと考えています。そこから麦の栽培が始まった理由が見えてくるのですが、その話は長くなったので次回書きます。


投稿日:2019年6月4日  カテゴリー:ブログ, 院長ブログ

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