砂糖と植民地
砂糖は今日世界中で最も愛されている麻薬です。皆さんのなかにも相当な砂糖中毒者がいることでしょう。今日の疾病利権を支える大黒柱であり、莫大な富の源泉となっている麻薬である砂糖がこんなにも世界中に蔓延している原点は、やはり植民地と大規模プランテーションによる大量生産からでしょう。砂糖が大量生産・大量消費されることになった原点の植民地とプランテーションについて、今日は分かりやすく解説したいと思います。
まず砂糖の原料となるサトウキビですが、元々サトウキビはニューギニア原産の作物であったといわれています。ニューギニア島はオーストラリアの北に位置する世界で2番目に大きな島で、赤道近くにある島です。ですから沿岸部は熱帯雨林となっています。ゆえにサトウキビは熱帯~亜熱帯で生育する作物です。
サトウキビはそこから東南アジアを経て、紀元前2000年ごろにはインドに伝わったとされています。
ヨーロッパには、11世紀に十字軍が持ち帰り、地中海周辺でサトウキビが栽培されるようになりました。サトウキビは熱帯から亜熱帯で栽培する作物ですから、ヨーロッパの地中海性気候ではうまく育ちません。ヨーロッパではシチリアやバレンシア地方で生産されていましたが、生産量はそれほど多くはありませんでした。
1492年にコロンブスが新大陸を発見したころ、ヨーロッパの諸侯の中で豊富な資金力を持っていたスペイン王がローマ教皇と取り計らい、コンキスタドール(征服者)を新世界へどんどん派遣するようになりました。そして西インド諸島の島々をはじめ、1521年にアステカ帝国を、1532年にピサロがインカ帝国皇帝アタワルパを捕囚し、新大陸はヨーロッパ人によって征服されました。
コンキスタドールは、最初は単に原住民から金銀財宝を略奪する目的で侵略していきましたが、奪えるものは全て奪ってしまい、さらに原住民たちはヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌によってどんどん死に絶え、広大な空き地だけが残りました。ちなみに西インド諸島のインディオは絶滅し、南北アメリカ大陸の原住民の90~95%がヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌によって死んだといわれています。この病原菌とは、ペスト、天然痘、チフスなどであったといわれています。
さて、西インド諸島や中米は熱帯気候であり、サトウキビ栽培にうってつけでした。そこでヨーロッパ人たちは、西インド諸島や中米の熱帯~亜熱帯気候の土地に、大規模なサトウキビプランテーションを建設していったのです。ところがサトウキビ生産は多大な人手と重労働が必要な作物です。そこでアフリカからのべ1千万人以上の黒人奴隷を連れてきて、サトウキビ生産を行わせました。黒人は熱帯~亜熱帯気候での適性があったため、白人よりも熱帯気候に順応し、プランテーションでの労働に従事することができたのでした。
サトウキビ生産がそれほど儲かるのなら、なぜ白人たちは最初からアフリカの熱帯~
亜熱帯気候でのプランテーション開発を行わなかったのでしょうか。それは、アフリカに存在していた風土病のせいでした。新大陸のインディオ達は、白人たちが持ちこんだペストや天然痘、チフスなどの病気に対する免疫を持っていませんでしたが、白人たちにとってもアフリカに存在していたマラリアや黄熱病、眠り病などの免疫を持っていなかったのです。これがアフリカが新大陸に比べ、欧米列強による植民地化が大幅に遅れた理由です。白人たちはアフリカ大陸の内陸部に入っていくことができなかったから、代わりに黒人を捕まえて新大陸で奴隷にしていたんですね。
世界の人口分布を大幅に塗り替え、世界の覇者となったヨーロッパ人が世界を侵略し始めるきっかけとなった作物であるサトウキビと、その原動力となった砂糖とは、これほどまでに強力な力を持った麻薬であることがお分かりいただけたでしょうか。
投稿日:2013年9月27日 カテゴリー:予防歯科, 院長ブログ