狩猟民族であっても農耕を行う場合がありますが、その主体は女性(および子ども)であ
り、成人男子は農耕を行わないと書きました。狩猟の成果は身体能力に依存しますから、
男は狩猟、女は農耕という役割分担は、一見理に適っているように思えます。実際アボリ
ジニーはそのような生活を約4万年間、アマゾンのジャングルに住むインディオは約1万
年間続けてきました。
人類の長い歴史の中では、農耕は比較的最近の出来事であり、かつては世界中どこでも人間は狩猟民族として生きていました。ですから農耕民族は狩猟民族から移行したのであって、逆ではありません。一方で農耕民族から狩猟民族への移行という事例もまた、確認されています(チャタム諸島のモリオリ族など)。この場合、狩猟民族→農耕民族→狩猟民族→(滅亡)となっています。
かつては世界には狩猟民族しかいませんでしたが、農耕民族が誕生すると、瞬く間に広がっていき、次々と狩猟民族を駆逐(滅亡)していきました。最初の問いである、「動物を殺して食うのはかわいそう」という感情(考え方)は、農耕民族によってもたらされました。農耕民族は、動物愛護という精神(もしくは感情論)を、「発明」したのです。
狩猟民族から農耕民族への移行を考える時、先住民族の生活が大いに参考になります。というのも、先に狩猟民族が農耕を行う場合、成人男子は農耕を行わないと書きましたが、実は例外があります。
北海道に住むアイヌは、狩猟採集民族でありながら、固定した集落に定住して生活していました。このような民族では、富の蓄積が起こりやすくなります。狩猟採集で生活している先住民族の特徴は、個人所有の概念が無く、共同体の成員は皆平等であるというのがあります。ところが、定住し富の蓄積が起こるようになると、所有の概念が生まれ、身分の差が生まれてきます。
アイヌは格差社会であり、首長は妻の他に多くの妾やウタレを抱えていました。ウタレとは、簡単にいえば奴隷です。アイヌの首長はチャシと呼ばれる宝物殿に富を蓄積し、権力を誇っていました。
アイヌの農耕は、主に女性と子どもの他に、ウタレも行っていました。すなわち、アイヌ社会では成人男子が農耕を行っていたのです。一方でウタレではない集落の成人男子は狩猟を行い、決して農耕を行いませんでした。
このアイヌの生活パターンを拡大して解釈するとどうなるでしょう。そう、農耕民族というのは、集落の成人男子の「全員」が農耕に携わっているわけではありませんよね。農耕民族の社会は人口稠密で階層化された社会ですから、支配層と非支配層が存在します。農耕は被支配層が行う一方、支配層は農耕を行わず、狩猟を行います。逆にいえば、支配層は被支配層に狩猟を行う事を禁止します。
話をアイヌに戻せば、アイヌが屯田兵によって北海道から駆逐させる以前は、本土の日本人はアイヌを最も穢れた存在であると考えていました。ちなみに本土で伝統的な狩猟を行っている人たちのことは、穢多(エタ)と呼んで差別していました。
次回は支配層がなぜ被支配層に狩猟を禁じたかについて書きます。