もしあなたが瀕死の重傷で死の縁にあったとして、その病気をたちどころに治し、命が救
われるような薬があったとしたら、あなたはその薬にいくら払いますか?
製薬業界において、病気の特効薬の事を「魔法の弾丸」と呼びます。歴史上登場する魔法の弾丸の多くはサギ商品でしたが、中には本物の魔法の弾丸もありました。製薬業界は魔法の弾丸を追い求め、独占し、巨万の富を得ようと必死になって研究開発を行ってきました。
今では原因も治療法も分かっている病気でも、昔はその原因や治療法が分からず、そのために多くの人の命が犠牲になった病気がありました。多くの感染症の原因は、パスツールやコッホの病原菌の発見によって解き明かされましたが、中には病原菌の見つからない謎の病気というものもありました。
病原菌の存在しない、謎の病気として世界で猛威を振るった病気としては、壊血病や脚気、ペラグラ、くる病などがあります。ペラグラやくる病は、死者は多くても基本的に貧困層に特徴的な病気でしたから、その原因究明は遅れました。一方で壊血病や脚気はお金持ちや貴族などの身分の高い人でもなる病気でしたから、その原因究明にはたくさんの研究者が挑みました。
1912年にイギリス人のフンクが、これら疾患の原因は栄養素の欠乏にあるとし、その微量栄養素の事を「ビタミン」と名付けました。ビタミンはその後の研究でA、B群、C、D、E、Kなどがあることが分かりました。
これら疾患の発症メカニズムとビタミンの関係を調べたのは誰だったでしょう?そう、製薬会社です。製薬会社はビタミンを魔法の弾丸として、独占し、販売することによって巨万の富を得ようとしました。ビタミン欠乏の患者にビタミンを与えれば、そりゃ病気は良くなりますよね。製薬会社の考える魔法の弾丸に、ビタミンほど適したものはありません。
ところが、製薬会社の思惑をぶち壊すような行いをする人物が現れました。それが、世界で初めて栄養学を作り上げた男、「佐伯矩(さいきただす)」です。彼はビタミンが我々が口にする食品の中に含まれている事を人々に知らせ、ビタミン剤を摂らずとも食を改善すれば欠乏症は治ることを研究し、広めました。
佐伯矩の最も優れた業績は、さまざまな食品の成分を分析し、一覧表にしたことです。この表を参照することによって、例えば脚気ならビタミンB1を多く含む食品を食べれば良いといったことが簡単に分かるようになりました。この事から、世界の栄養学の祖として、佐伯矩は世界的に知られるようになりました。
ところが困ったのは製薬会社でした。栄養学の知識が広まるにつれ、栄養欠乏の患者は減り、ビタミン剤は売れなくなってしまいます。アメリカで、そこにさらに追い打ちをかけたのが、1938年に制定された、連邦食品・医薬品・化粧品法です。元々この法律は、エリクシール・スルファニルアミド事件で多くの健康被害が出たことをきっかけに制定されました。この法律によって、医薬品の販売はFDAの事前審査と認可が必要になりました。
しかしこの法律で大きな争点となったものに、ビタミンがありました。製薬会社はビタミンを医薬品として製薬会社の独占を認めるよう、議会に働きかけました。しかし、ビタミンは食物中に含まれる成分であることから、医薬品としては認められないことが、この法律によって正式に定められました。この決定に大きな影響を与えたのが、佐伯矩の作った食品成分一覧だったのです。
これに怒った製薬業界は、黙ってはいませんでした。当時日本で国立栄養研究所の所長だった佐伯矩を追放処分にし、国立栄養研究所から追い出しました。さらに栄養学を支配下に置き、間違った栄養学の知識を人々に植え付けるよう工作を始めました。これが現在の栄養学の始まりです。
さらに製薬業界は、佐伯矩の業績を否定し、間違った栄養学的知識を植え付けるために、日本でも工作を行いました。その例として、佐伯栄養学校卒の栄養士だった人間に、佐伯の作り上げた栄養学を否定させ、間違った食と健康の知識を広めさせました。その人間とは、東城百合子という人物です。
アメリカで飽和脂肪やコレステロールの摂り過ぎが良くないという説や、肉を控え野菜や穀物をたくさん摂ることがヘルシーであるというキャンペーン、ベジタリアンやマクロビオティックのブームなどは、この製薬会社の御用学者であった栄養学者が全て作り上げたものです。
佐伯矩は、当時カルト宗教として広まっていたマクロビオティックを科学的に批判し、玄米食の問題を指摘し、脚気予防には七分搗き米が最も良いとの研究も行っていました。この事やマクロビ実践者に健康被害や死者が続出したこともあって、戦前の玄米菜食は日本では下火となっていました。この玄米菜食を戦後復活させるために活動したのが、前述の東城百合子というわけです。
魔法の弾丸で儲けるためには、原因がはっきりしている疾患を見つけること。特効薬を独占すること、そして何より、その薬を必要とする患者をたくさん世の中に生み出すことが必要です。佐伯矩はそういった製薬会社の思惑と戦った研究者であり、日本人の誇りです。僕は佐伯矩の思いを今につないでいきたいと思っています。