先住民族の食生活と、肉食中心の食事の栄養学的意義を説き続けていると、肉食を否定す
る人の反論を受けることがあります。僕的には菜食主義の人やマクロビを信仰する人は、
自由にやってもらって構わないと思っていますが、肉食忌避の考えの人は、肉を食べる人
間のことが許せないようです。
肉食忌避という考え方は、どこからやってきたのでしょう。それは、人類が農耕を始めたときから生まれました。というのも、人類が農耕を開始する以前、地球上のすべての人間は、狩猟採集生活を送っていたからです。肉食忌避の考え方は、狩猟採集生活では成り立ちません。肉食忌避は、農耕民族に特徴的なイデオロギーなのです。
農耕民族は良質の農地を手に入れるため、新たな土地を手に入れようとしました。しかしそこには狩猟採集で生活している先住民族がいます。彼らから土地を取り上げる理由として、肉食忌避を持ち出したのです。すなわち、動物を殺して肉を喰うのは野蛮な行為である、だから先住民族は未開の野蛮人である、と。
未開の野蛮人に、文明社会の進歩的な宗教(肉食忌避の考え)を布教し、農耕のやり方を教えてあげれば、未開の野蛮人も文明の恩恵を受けることができるようになるし、何より(ここが最も重要な事ですが)、彼らの土地を合理的に手に入れることができます。こうして農耕民族は、自分たちの宗教を未開の野蛮人に布教することに熱心になり、また積極的に狩猟民族の土地を奪っていきました。
ですから農耕民族が作り出した宗教には、多かれ少なかれ、必ず動物愛護の考えが含まれています。狩猟採集民族が持つアニミズム的宗教観を否定し、全知全能の神が人間と動物を作ったと説いています。アニミズム的宗教観では、人間は自然の一部であり、自然と共に生きる生き物だと考えますが、一神教的宗教観では、神が自然と人間を作り、自然は神が人間に与えたものとし、人間は他の動物や植物などとは別であると、人間を特別視します。
例えばインドでは、農耕民族であるアーリア人が、ドラヴィダ人の土地を奪って文明社会を作り、ドラヴィダ人たち先住民族を自分たちより劣る人間として、カースト制度を作りました。このインドの原初宗教であるバラモン教の影響を受けた仏教もまた、動物愛護の考えを包含しています。また、キリスト教はセムの宗教である仏教やヒンドゥー教の影響を強く受けていると、現在では考えられています。
これをベースに、次回は日本の肉食忌避について書きます。